製作:2014年アメリカ
発売:ポニーキャニオン
ジェイは恋人のヒューと一夜を共にする。だがその直後、ジェイは拘束され奇妙な説明を受ける。「これで『それ』は君に移った。逃れるためには、君も誰かに移すしかない」 『それ』は性行為で人に移る。『それ』は人間の姿をしているが移された者にしか見えず、ゆっくり歩いて近づいて来る。捕まれば死ぬ。他人に移したとしても、移した相手が死ねば『それ』はまた戻ってきてしまう。ジェイは『それ』から逃れることが出来るのか。
アメリカのティーンたちが化け物から逃げ回るホラー映画ということで、話題になっていたのは知りつつも公開当時はスルーしていた作品。しかし思った以上にストーリーやキャラクターは薄く、セリフが少なく説明もなく淡々としており、恐怖演出一点集中型の作風。それも突然何かがババーンと出て来たりいきなりデカイ音を立てるようなコケオドシがほとんど無く、ひたすらジワリジワリと真綿で首を絞めるような感じの恐怖の煽り方を徹底しています。最近のアメリカンホラーでこういうのは非常に珍しい。
本作の主人公ジェイはまず冒頭で彼氏と車の中で性交渉を致してしまいます。ホラー映画においては真っ先に殺される役割の人間を主人公に据えたというのがもう珍しい。さらに、その行為によって『それ』に追われることになっても、ジェイ以外の人間には見えないし害もないため、友人グループが次々と殺されていく、といった王道のストーリー展開が出来なくなっています。普通なら簡単に用意できる見せ場もそうそう作れないという難儀な設定。
『それ』は捕まれば殺されてしまう、恐ろしい存在ではありますが、見た目は普通の人間が普通に歩いて来るだけ。↑の状況では老婆の姿をとっています。本作はいきなり『それ』が近くに現れるということは無く、必ず遠くからゆっくり歩いて来るために、当たり前のようにジャンプスケアを乱発するエセホラー映画とは違い「恐怖」と「驚き」を混同していない稀有な作品です。
それだけではなく、スプラッター的なサービスシーンも一切ないので、もう一つ恐怖と混同しがちな「グロによる生理的嫌悪感」さえもが排除されています。本作で表現したいものはただただ恐怖感のみであり、言い換えれば純粋に「死」が迫って来るという圧迫感と不条理さがあるだけ。恐怖という感情は死を避けるために湧き上がるものであり、ホラー映画の真髄はそこをいかにして刺激するかということにあります。ホラー映画の発展はつまり人の死に対しどう飾りつけをしてきたかの歴史。しかし、いつの間にか装飾過剰になってはいなかったか。奇怪な怪物を見せるための映画、残虐なシチュエーションを見せたい映画なども悪くはないが、純粋に死を恐れる心をテーマにした映画を最後に観たのはいつだったのか。
↑画面左奥から近づいて来る人影が『それ』。
ジェイ本人が気づくだいぶ前から観客には分かるようにフレームインしてきます。
初代「ハロウィン」におけるマイケル・マイヤーズの近づき方にも似ていますね。
ただし、後半から終盤にかけては『それ』が他人には見えなくとも物理的に触れることが可能な存在であったことで、若干普通のバケモノホラーっぽくなってしまったのも確かです。移されていない友人たちが攻撃されることはないはずなのに、イスで殴ろうとしたらぶっ飛ばされる。まあ何から何までジェイしか認識できなかったらただの妄想と区別できなくなるからある程度は仕方ないのか。あと、屋根の上に全裸で仁王立ちだけはさすがによろしくない。せっかくお笑い要素ゼロの完全シリアスだったのに、あそこだけはさすがにギャグっぽくて浮いてる気がします。
そして何やら良い退治方法を思いついた風な作戦が展開されますが、説明がなくていまいちよくわからない。ラストは解釈の分かれるところなのかもしれませんが、私には結局何も解決していないようにしか思えませんでした。人間である以上、死からは逃れられないので当然と言えば当然ですが。そうでなくとも、たとえ誰かに移したとしても、そいつが死ねばまた戻って来るのだからいつか必ずやって来るわけで、それがいつか分からない以上もう安心して暮らせる日はない。最後まで観客に対する「死への恐怖」を煽る意図を持って作られた非常に純度の高い素晴らしいホラー映画と思いました。
…と言っても、その高い志とテクニックにいたく感心したというだけであって、私個人としてはあんまり怖がれませんでしたが。これは私がホラー映画慣れしすぎているから仕方ないと諦めるべきなのか。
あと最後に、本作はBGMが大変良いです。思いっきり不安を煽る不協和音だったり、妙にインパクトのあるメロディを奏でるシンセサイザーだったり。これは明らかに70~80年代のゴブリンやジョン・カーペンターの影響が非常に濃い。それらが大好物な私には非常に心地よいサウンドでした。カッコ良すぎて恐怖感がかえって減ってたような気がしないでもありませんが、サントラも買いの逸品ですね。