製作:2018年ロシア
発売:アットエンタテイメント
人類初の火星有人探査に参加していたチャパエフ。しかし、着陸寸前で事故が発生し、チャパエフは火星に1人取り残されてしまう。地球への帰還は不可能、救出ミッションを行う費用も無い。残された手段は、火星での生活を全世界へテレビ中継して救出費用を稼ぎ出すことだった。
ちょっとジャケット似すぎじゃないですかね。
レンタル屋で見た時にどれがどれだか分からんくなりますよ。
しかもこれ全部違うメーカーから出ているという…
中身の方は、火星に取り残された宇宙飛行士が一人でサバイバル…ということで、「オデッセイ」のロシア版と言って差し支えなさそうです。
とはいえ、火星の過酷な環境でいかにして食料や水を確保し生き続けるか?というテーマでは全然なく、むしろ物資は潤沢にあり当分生存に困ることはない感じ。あくまで宇宙に1人取り残された時に人はどれだけ正気を保てるのか―という内面的な話だったと思います。多分。
そこら辺はいかにもロシア産の宇宙SFらしく、精神に異常をきたしつつある宇宙飛行士の内面世界をいるのかいないのか曖昧な火星人の存在を匂わせつつ観念的で難解に思わせぶりにウヤムヤにしてくる感じで正直よく分かりませんでした。
ただ本作はそれだけではなく、火星に取り残されたチャパエフを使ってあの手この手で祭り上げて利益を上げ、私腹を肥やし、終いにはプーチンを追い落とそうと群がるクズ共の描写にいやに力が入っています。風刺映画としての面が強い。
ロシアってやっぱりそういう腐敗したダメな国なのかなあ…と思わせられます、火星の有人探査一番乗りしたり、科学技術がえらい進んでたり、ロシア製のTV番組が世界中で大人気になってたりとそれなりに自国上げな部分も目に付くのでバランスはとれてるかもしれませんが。
「オデッセイ」との最大の違いは火星での生活をテレビ中継するという部分に重点を置いていることですが、基本真面目で不愛想なチャパエフが急に「生活の知恵を超える宇宙の哲学ーチャパエフ・スタイル」などと珍妙なことを言い出して世界中でブームが巻き起こったりします。
チャパエフ・スタイルの新作発売で莫大な利益を貪る大臣。新作って言っても一体何の新作なのかわからん。
精神に異常をきたした結果笑いに走るのか? この映画は一体どこへ向かっているんだ? と興味を惹かれるところですが、しかしそのオチはずっこけるというか反則でしたね。あれは何でもありになるからやっちゃいけない手法だと思う。火星と地球との通信が速すぎるように見えるのもロシアの超技術だったのか映画的都合だったのかインチキなのか分からなくなったし。
結局どこからどこまでが茶番だったのか?
やたら大物ぶって思わせぶりなことばかり言ってたテレビ局の社長も一体何が目的だったのか?
分かったような分からんような疑問を色々と残したまま、物語は不条理な爆発エンドを迎えます。
しかしまあ、観ている最中は話がどこにどう転がって行くのか分からなくて興味を引き続けられ楽しめたのも確かです。CGの出来も実物と全く区別がつかないほど精緻極まりないものですしね。ロシアの科学技術は宇宙一ということですな。
張り切って新作で借りるほどではないですが、午後ローか何かで放映の際には観てみても良いんではないでしょうか。
1. 【映画鑑賞】マーズ・コンタクト
この作品も、終始チャパエフの視点で展開すれば良かったのに、宇宙ステーションの所長やら、怪しげなテレビ局の社長が現れて、物語が在らぬ方向へと「超展開」してしまう様は、無残としか言い様がありませんでした。一体誰が主人公なんだろか(笑)?
挙句、収拾がつかなくなったのか 観念的な意味不明のラストを迎えてしまい、観客を煙に巻いてしまうと言う…(苦笑)。まるで1972年の「惑星ソラリス」みたいな映画でした。此方の映画も、名作とか言われてますが、私はポンコツ映画だと思っています(笑)。
結局のところ、チャパエフという人物は存在しなかった(存在していたが死亡した)ということなのでしょうか? 好事家さんはどう思われます(笑)?
Re:【映画鑑賞】マーズ・コンタクト
私はDVDスルー作品の予告編は大体飛ばしてしまうので本作の予告も本編鑑賞後に確認してみたんですが、これだと「ミッション・トゥ・マーズ」的なものを期待してしまいそうなノリになってますね。普通なら「オデッセイ」に寄せるべき内容だと思うんですが、なぜあえてそっちなのかと。その方が売れると思った理由が訊きたいですね。
ロシア製宇宙SFはどうしても惑星ソラリスを意識してるフシがある気がするんですが、逆にそれを利用して煙に巻いてる感があるんですよね。それとも宇宙SFは難解にすべしという風潮が根強く存在しているのか。
で、どの時点からチャパエフがCGになっていたかって話ですが、普通に考えたら「チャパエフ・スタイル」を提案したところからじゃないかなと思います。しかし、それ以前から妙にテレビ受けするトーク力を発揮していたのも何だか怪しいし実はかなり序盤からCGだった疑惑も捨てきれませんね。そこんところはもう一度観れば分かりそうですが、さすがにそのために本作を2度観ると言うのもツライ。まあ別にどこからだろうと「偶像をでっちあげて利益を貪る権力者」という構図に変化はないから分からなくても別に問題ないかなとは思います。にしても、あのテレビ局の社長はもっと深い意図を匂わせてましたが、結局何だったんでしょうかね。